私は幼い時から目がとても悪かった。
大人になってレーシックをしたので今は裸眼で生活しているけれど、小学2年生の時に視力ががたんと落ち、その後眼鏡。
小6のときにはコンタクトをしていた。
どれくらい悪かったかというと、色しかわからない、というレベル。
コンタクトの数値(マイナス◯◯という数値だったけど)で同じくらいの人を見たことがないし、もう少しいったら手帳レベルだったらしい。
最近気づいたことだけれど、どうも私は目つきが悪いようだ。
「物を見る」ということに積極的でないから目力がないのは認識していたけれど、目つきが悪いとはあまり思わなかった。
いやそりゃ周りも言いづらいよね…。
電車に乗っていたりしてぼーっと人のことを見てたり、単純に目を向けたり、はたまた綺麗な人だなとか、服かわいいなとか、そういう気持ちで見ていると、すごい敵意を向けられることに気づいた。
結構頻度があるので、これはいよいよ自分のせいだなと思うようになった。
こっちとしては「ただ見ている」だけなのに、それがどうも敵意を生んでいる。
要はガンをつけてると思われているのだな、と思った。
口角をしっかりあげるよう意識してみるがなんかどうも違うようだ。
そう、口元が笑ってるかではなくて(もちろんへの字口よりはマシだろうけど)、目が笑っている、、いや笑うまでいかなくても穏やかそうかどうかというところが問題なんだ!
はっと理解した。
確かに目が笑っているかどうか、目が優しいかどうかというのは確実にその人を表していると感じる。
それから自分のことをよく観察しているが、本当に目力がない。
目が大きいとか魅力的とかの意味の目力だけでなくて(それは認識済み)、私はものを見ることにものすごい体力を使うことがわかった。
そりゃそうだ、もともと見れてないんだから、そこにパワーを使ってこなかったんだもの。
なので意外と嗅覚や聴覚、そして感じる力は強い。
視力…パワーが弱いな………
なので、普段の生活でパワーを使わないように、ほとんど目に光を宿していないのだと思った。
そこでもう一つ気づいたことがある。
私自身の世間への見方の基本形が「ガンつけてる」ということ。
どっちが先かわからない。心がそうだから目つきも悪くなるのか、目つきが悪い(目にパワーがなく光がないから)心がそうなるのか、それはわからない。
ただ、基本的にガンつけてるので、その一瞬はなんの気持ちもなく見てたり綺麗とか服かわいいとか思ったとしても、基本的に楽しそうな光が目にないのだと気づいた。
うーーーん。どうしたもんかな。
これも筋トレみたいな感じなのかな。
長年これでやってきたけど、筋トレし続けていれば体力ってつきますよね!?!?
だって無意味な敵意を生みたくない。
私はあなたを敵視していないし、なんなら綺麗だとか服かわいいとか思ってます!!!
人を見るときは、楽しみを心に置いて見るようにしよう。
そうしたら世間への見方も少し柔和になるのかも…。